愛から出た純粋な想いは
「あきらめる」を創りません。
なぜなら、愛には
「あきらめる」ということ自体が
存在しないからです。
※あきらめる概念があるのは
「愛情」の方ね(笑)
問題が起きるのも愛情の分野(笑)
では、「自分で」選択して
たずさわっている事・モノ。
※誰かに勧められて、
最終的には自分で選択しているのに、
他人に勧められたから!の
「認知のまま」にさせている人は注意!(笑)
他人の人生を生きています。
閑話休題
①自分の純粋な想い ー ② ー ③今やっている事
①を③に通せないので、
③を変えたり、③をあきらめたりします。
しかし、
①にはあきらめるということが
存在しないので、
①を「通せる」③を探し続けます。
もしくは、「自分は」純粋な想いを
③で表現できない時に、
他人を見始めます。※比較・嫉妬
①を通せそうと錯覚して
他人を幸せにする等
③に通せないならば、
まず①を明確にすることです。
③を通して①に気づく。
今やっている③をやりたい動機。
自我の動機ではなく、①を徹底的に見つける。
※見つかった時、自分で分かります。
感動という衝撃が走りますから。
見つかると③に①が「自動的に」通るので
上手く運び続けます。
①には「あきらめる」という
エネルギーがないので
①が通った③は、
展開していくしかないのです。
もしくは、③に対して
本当に私はやりたいことなのかと
徹底的に、疑うことにより、
①に気づくことができます。
①に気づいたとき、
今やっている事は本当の想いを通す
「適切な事・モノ」ではないと
気づけたら、
次の③の選択は上手くいきます。
いずれにせよ、
①を見出すこと。
一番大切です。
①をあいまいに
もしくは、
わからないままにさせておくと
②で迷子に、努力に、
はまりがちです。
※②であがく・調整しても…
単に
愛から出た純粋な想いが
今やっている事に
通っているかどうか
だけなのですから。
①から③まで まっすぐね!
【2024.1.29 RAS松坂宏一代表 Facebook投稿より】