RAS代表松坂宏一さんのつぶやき

「私」を手放す・フォーカス先は「私」

「私」を手放せば手放すほど①
「私」を大切にできます。②

①を行うことは、
「私」を大切にしないように
「錯覚する」ので、
とてもとても怖いので

①を行わずに②になろうとするので、
今の結果に。

①を行わずに、
頑張って②になるように
行動だけ変えてきたので
今の結果に。

※私、今までより丁寧に
自分にこれをやってあげました!
など。

「私」が100ヘルツのまま、
強い意志で200ヘルツの場所に行っても、
100ヘルツの場所に戻るだけ。

この世界は逆説です。

ですから、
その「私」を手放す方法として
いろんなものがあります。

「与えられた」嫌なことを「やる」

これは、
その嫌なことをやる中で
嫌と感じている「私」を
手放していく方法
です。

この時のフォーカス先が、
「嫌なこと」になっていると、
嫌なこと「自体」を手放そうとします。

フォーカス先は、
「私」です。

嫌と感じている「私」を
手放していくのです。

もちろん、感情消化しながら。

嫌は「私」の中にあるのです。
嫌な「こと」の中にはないのです。

※嫌なことの内容が世間的に
正しかろうが正しくなかろうが
関係ありません。

フォーカス先が違うだけで
大きな違いになります。



◆「私=思考」は
陰陽の世界の産物ですから
どうしても、
対立軸は生み出してしまいます。

どんなに生み出していないと
確信を持っていたとしても。

フィルムの外にしか、
対立軸がない世界は存在しないのです。

◆感情にも感情がある。

大切なものを失ったとき哀しいのは、
「執着心」が哀しんでいます。

「私」が採用した執着心が哀しんでいる。
(※執着心が執着の対象物を喪失するので)

これが、省略されて
「私」が哀しんでいるになります。



【2024.1.22② RAS松坂宏一代表 Facebook投稿より】


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