何かを為したいと思ったとき、
常に内側に問い続けると、
「結果として」思い(想い)の純度が上がります。
純度を上げる問い(方法)としては、
「本当に私はこれをやりたいのか?」
だけです。
この時に、
「〇〇のために」
「誰が」とか
「何が」とか
が出てきたらば、純度は低いです。
思い(想い)の純度は
「他は一切介在しない」からです。
この問いが
自分が本当に為したいことへ
いざなってくれます。
あるいは、
今携わっていることへの
純度を上げてくれます。
「〇〇のために」等が消えた時、
その思い(想い)は本質的に
「結果として」広がり始めます。
純度が「内側の何か」と一致したとき、
ただ「在る」ことが
認知されやすくなります。
為すことも意識せずに(できずに)
呼吸をする自然さで。
思い(想い)の純度は
他は一切介在しないからといっても、
エゴに走るということでもありません。
思い(想い)の純度は
私たちに内在する愛そのものですから。
すべてのものは、
表面的なものを超えた愛を
持っているものですから。
★自分自身を愛するのに、
他の介在は一切必要がない、
ということと同義です。
★りんご含有7パーセントの
りんごジュースを
「自信をもって」
本格的!と語れるかな。
混ざりものをなくすだけよん(笑)
→ 「自信のなさ」も純度の低さからきます。
→ 自分に混ざりものを混ぜてしまったことによる
→ 親の期待、社会の期待に応えようとして
→ その混ざりものが「〇〇のために」
★親のために、社会のために等という
「自分への純度の低さ」という形で
大人になって現れる。
★「〇〇のために」のために、
前提として、
情報収集(他の動向を気にする)を行います。
→ そして、
(本来は)自分を満たすエネルギーが
(自分以外へ)分散していくという、スパイラルに。
【RAS代表松坂宏一さん 2023年6月Facebook投稿より】