toggle
2015-03-11

いもうとのこと

私には、4つほど年がはなれた妹がいます。
今日、飛行機に乗った移動中、
なぜだか妹のことを思い出してました。
いもうと、そろそろ結婚するんだろうな~
あのひとでほんとにいいのかな~?ベー(笑)
きっと、いいかんじがするからいいんだろうな~
うちは、姉妹そろって、親の望むような生き方ではないよな~ガ-ン
でも、私たちが楽しそうに生きてたら、それでいいだろうな(笑)
→めちゃめちゃ自分に都合よい解釈ですが(笑)
結婚式とかで、あねからのスピーチとかやっちゃうかもな~
私、なんてしゃべるのかな~マイク
・・・なんてかんがえていたら。
とめどもなく出てきたことばたち。。。。。

わたしはちいさいころ、
いもうとを連れて遊びにいくことが、とてもいやでした。
わたしのともだちは、妹弟をつれてくる子がおらず、
いもうとだけ特別なかんじになってしまう事が多かったからです。
ちいさかった私は、なぜだかそれがとてもいやで。
でも、母は「つれていきなさい。おねえちゃんでしょ。」というし
いもうとはたのしそうに「ようこちゃーん」といいながら、
笑いながらついてくる。
いやだいやだ、と思いつつも連れて行き、
よく遊びながら意地悪をし、泣かしたのを覚えています・・・(笑)
→ ひどーいうわーん
それでもいもうとは「ようこちゃーん」といってにこにこ笑いながら、
いつでも、どこでも、ついてきていました。
なんでこの子は、こんなに意地悪しても(←わかってるのがすごいとこで(笑))
笑ってついてくるんだろう?と、とても不思議でした。
それでもやっぱり妹は妹で。
なんだかんだ言ってもかわいいヤツで。
「妹と弟とお兄さんとお姉さん、選べるなら何がほしい?」
ときかれて
「お兄さんかお姉さん。妹は◎◎がいるから、いいや~。」
なんて答えてました。
ある程度の年齢になったらいもうとにも学校などで友達ができ、
私のあとをついてくる事はなくなったのですが。
進学と転勤とで事情があり、家族がわかれて住んでいたころ。
母と妹が暮らす広島県の田舎に、神奈川県の高校に通ってた私が、
夏休みだったので1カ月位遊びに行ってたときのことです。
1カ月も一緒にいて、離れるときにはやはり寂しいものです。
でも、泣いたらはずかしいし(思春期?)、
今生の別れでもないし、
どうせおかあさんもいもうとも泣くわけないんだしー、
なんて思っていたら。
別れ際、それまでにこにこ笑ってた妹が急に
「ようこちゃーん、えーんうわーんかえっちゃうの~」と、
泣いて抱きついてきたのです。
「・・・あ、まだっていうか、ずっと?、こんなダメな私でもすきでいてくれてるんだ。」
(私は「自己否定」がこのころから、とても強かったので)
と、それでも姉だから、泣いちゃいかん、と思い ←いいのにね(笑)
「ありがとうね~、またね~、すぐあえるからだいじょうぶだよ~ニコニコ
なーんて言いながら、
母と妹と別れてから電車の中でひとりで大泣きしていました。


そのあとはなんだか、
走馬灯のようにいもうととの思い出でのシーンが思い出されました。
(もうここからは、結婚式スピーチの内容では、ありません(笑))
そこで、気がつきました。
あ。
いもうとって、いつもいつも
いもうとに意地悪してるわたしでも。
自己否定強くて「私なんてダメだし」っていつもおもってるわたしでも。
太ってて明るくなくていつもいじけてるわたしでも。
家族のなかで雰囲気を明るくすることができないわたしでも。
これといってやりたいことがみつからずもがいてるわたしでも。
なかなか彼氏もできず、やっとできたと思った彼とも破局をむかえ、
仕事もできない位おちこんでても。
彼氏がかわり、タイプや環境が全く、
家族全員が反対するような人とつきあったとしても。
「ようこちゃんが選んだんだから、それでいいんだよー」

って。
良いも悪いもなく、
「そのまま、まるごとのわたし」を尊重してくれて。
その上で
「ようこちゃん、だいすきー」

って、
いつもいつも、言っててくれたんだ~~~~~うわーんうわーんうわーん
って、やっと気付きました・・・・

それに長いこと、きづかなかったのは、
家族全員にとてもかわいがられて、
いつでも場をふわっと自然に明るくすることができる、
とてもやさしくて、明るくて、おもしろいいもうとに、
ただただ、わたしが、ただただスネていて。
いもうとはこんなふうに
自然に家族の笑顔をひきだすことができるけど、わたしにはできない。
わたしがしゃべると、食卓がしずかになっちゃう。
わたしなんて、家族の役にたてない。
しゃべると、けんかのもとになっちゃうし、雰囲気が悪くなる。

っていう気持ちから、
勝手にキモチを閉ざしてたからだったこと。
(周囲から見たらそうではなかったかもですが、ちいさい私は、そう思い込んでいた。)

「(そのままの私を)尊重してくれて、受けとめてくれていた」
あー・・・いもうとと話すと、いつもおちつけるのは、そういうことだったんだ
うわーん

すごいな~こんなにずーーーーーーーーーーーっと、きづけないわたし・・・(笑)
相当まえから、自分の感情をぎゅーーーーっと押し込んで、ふたをして
(※感情麻痺の状態で思考で動いていた)
相当スネて、相当いろんな事を我漫していたんだなあ・・・(笑)
これ、心屋仁之助さんのいうところの「ぱっかーーーん!」ですよ (笑)
そして 「今、きづけたワタシ、すごい!!!」 
に、いきつけました(笑)(笑)(笑)
(自己否定が強かったころは、自分を自分でほめるとか、
そういう考えは全く自分のなかに、なかったんですよねー。)

「相手を尊重すること」
これ、すごく心地いいです、
とても「自由」をかんじられるから。

ささ、気づいたら、実践あるのみですよ~(笑)
はいはい、も、やっとわかっちゃったから(嬉)、
たのしんでいきますよ~ピース
ちなみに。
私はいま、自分のメンテナンスの為、
RAS「上級コース」の項目である「愛の否定の解放」をしてもらい、
その統合期間中(気持ちとカラダが一体化する期間のこと)に
この深いところにあった感情がでてきました。
ずっとずっと、自分のなかでくすぶった感情があり、
なぜだかいつも繰り返してしまう
「いやな感情」「生きづらさ」をなんとかしたかったのです。
RASはそんな無意識の中にある
問題の根っことなる「信じこみ」になってしまった感情を特定し、
「感じきる」ことで解放します。
すると現在「問題」と感じてることが、
根っこをとる事で「問題と感じなくなる」
のです。
そうしたら、きもちにゆとりができてきて、
感じることがいろいろかわってきます。

今回は解放後、
「自分で『「気づく』こと」
ってこんなに意味があることなんだ、と
身にしみて感じました。

でも、まあ、RASの場合は、自分の意識で気がつかなくても、
「確実に根っこは外れてる」ので。
気づかなくても大丈夫なんですけどねコレ!
ご自分のしらないところでちゃんと変化していて。
それにまつわる出来事があった時、
ふと気付いたり、周囲が「かわったね」と教えてくれたりします。
味覚や知覚がかわったりも、します。
でも。
顕在意識で「気づく」ことができると、
より「体感」できて、いいな~~~と、思いました。

「ぱっかーん」って、わかったとき、気持ちいいですよ~
(これでもか、という感じで大泣きしましたけどね~(笑)(笑)(笑))
感情を感じききったとき、その感情はながれていき、自然にきえていきます。

未消化の感情「信じこみ」がある状態で生きてるから、しんどいんです。
個性のままで生きる、それがとてもたのしく生きやすいこと。
多くのかたに知ってほしいと思っています。

RASセッションはそのための、お手伝いをさせて頂いています~
カテゴリー
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。